2006年3月 6日 (月)

神社と山の関係

昨日山に行く機会があったのですが。

樹木が多く茂っている場所(=森)は、
昔から神が座しましていると考えられてました。

神道が神社のことを杜(モリ)と呼ぶのは、
モリが気の充実した清浄な場所だったからだそうです。

で、モリは神々が降臨するところ。
森=山。
森信仰は山信仰から生じたもの。
神雛(ひもろぎ)も玉串も、森の雛形なんですって。

形の美しい山、神々しい高山は信仰対象となり、
神奈備の山と呼ばれて、全国に点在しています。

で、本来神社は社殿を持ってなかったのです。
聖なる場(神域)であれば、岩や石、
あるいは柱、しめ縄で囲った結界など
神聖であることを示す目印となる「何か」があればよかったみたい。
なぜなら、
神々は祭りのときだけ降臨して、
終わったら天上(もしくは海の彼方)に還るから。

降臨するときは依る物として「依代(よりしろ)」が要りました。
それが神雛であり、磐座(いわくら)。
いわくらとは、自然岩を少し加工したり、大きな石を組み合わせたもののこと。

よくいう「ご神体」。
これは本来、依代だったものが
後世で社殿に置かれるようになったものらしい。

ついでに神社用語を調べると、
「ヤシロ」
…「家」の「代」→「家の代わり」(=杜)
「ヤマ」
…「ヤ」=アイヌ語で「水が湧き出る」の意。
 ヤマの語源が「ヤ」の「マ(間)」だった可能性も
「宮」
…「御屋」。祭りのとき、神々のために臨時に設けた仮屋のこと

…って書いてました。

ちなみに、
鎮守=一定の地域に住む人を守護している、住居地の神社。
氏神=遠つ御祖(みおや)の神。
    直接じゃなくても、「藤原」氏の鹿島・香取の神や 
    「源」氏の八幡神、「平」氏の巌島神社とか、
    氏に由緒ある神も含まれる。
         何代にもわたってそこに住んでいる場合は、
    先祖の魂と土地の神が合体している。
産土(うぶすな)=自分の出生地や祖先の地に対して、
    特別の思い入れや出自意識を持っていて、
   その土地の神が自分の運命を左右していると信仰している神のこと。

だそうです。
いまいち意味ってわからなかったりしますもんね、近くにあっても。

さて、日本は元々「八百万の神」というように
貧乏にも神様を見出してきました。
美しい文化だと思います。

すべてに神がいるんだとしたら、
一人一人の中にも神がいるような気もします。

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2006年3月 4日 (土)

ケガレとは

歩いて10分足らずのところに、
長崎でも大きい鎮守様である神社があります。
幾つもの鳥居があるんですけど、
買い物行くときなど
「オンナノコの日とかは、ケガレだから通っちゃ駄目」
というようなことを昔から言われていました。
「女体の神秘じゃあー汚れてないわい」と思いつつ、
神様相手に喧嘩売るわけにもいかないので
納得できぬまま従っていたのですが。

どうやら、ケガレとは
「汚れ」でなく「穢れ」の方らしい。
そして元々は、
怪我や病気で体力が衰える
→気(ケ)が枯れている状態。
それが、気枯れ→穢れ、となったみたいです。
血や死がケガレなのではなく。
月経や出産も、気が衰えている状態だから
ケガレというのですね、ということを知って納得。

こういうときはうろちょろせんで
しっかり一定期間の休養をとりなさいよ。
という、粋な計らいからなのでしょうきっと。

いやねーもう本当にオンナノコの日ってしんどいですよ。
イライラするし腹も頭も痛いしだるいし食欲凄いし。
これがないっていうのは、
男の人に対して羨ましいと思う
数少ないメリットですね。

男の人ってやっぱしんどいと思うもの。

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2006年2月 1日 (水)

きっかけ

突然の変化、

その前にはいくつもの微かな警告がある。

気付くのも能力。知ろうとする勇気。

掴めなければ、失い続ける。

生涯抜け出せない負の輪廻。

最後まで手は差し伸べられている。

でも、見ようとしなければ無いも同じ。

繫がるものに気付き、このきっかけに気付けば、あるいは。

手がかりは記憶のなかに。

掴めなければ、差し伸べた手はすぐに風化させられる。

現状維持という心地よさは甘い罠。

この間にも確実に両足は沈んでいく。

何度もない大きなきっかけ、

繫がるものは記憶の言葉のなかに。

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